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周游于日本「心脏」的一年间

2019-02-14 17:36 13

    失踪了大半年的公众号终于找回来了,上一篇《》,现在读起来仿佛已是上个世纪的陈年往事。 后来的时光,在当时也是无比充实的,可我不知道为什么,每当回忆起来,只剩下怅然若失。

    独居的一年里,闹钟是我最忠诚的朋友,沉迷手游和网剧的时候、睡到昏天黑地的时候,用”煎茶“的清脆铃声监察我,领取上课、打工的每日任务和偶尔电车旅行的bonus,以消解我走出留学新手村之后的迷茫无助。

    事实上,我百无聊赖的留学生活已详尽记录在我朋友圈日常的只言片语中了,而我决定写些什么将记忆的碎片强行拼凑一番,不过是想增添些仪式感,为了迎接新的春天。

    今天的这篇,原题为『日本の「心臓」巡り』,其实是我为未来学特论的fieldwork上交的期末报告之一。而这门课可以说是我进入同志社读研以来最喜欢的没有之一,毕竟谁不愿意在听教授讲故事+公费旅游中就轻松拿到学分呢。

    下面斗胆把原文和译文都贴出来,语法问题应该挺多的,不值得参考,还请各位日语大神多多指教鸭~

 旅行が好きな私は、2017年12月に初めて京都に来てから、一年を経て、関西地方の2府4県を巡り、美しい自然と都市風景を体験しながら、日本の歴史・地理・文化への理解を深めることができた。東京を中心とする関東地方は現代日本の発展を支える「脳」と言えるなら、関西地方は日本文化の神髄を血液のように全身に送る日本の「心臓」だろうかと思う。

喜欢旅行的我,自2017年12月第一次造访京都以来,历时一年,周游关西地区的2府4县(京都府、大阪府、滋贺县、兵库县、奈良县、和歌山县),在体验优美的自然与都市风景的同时,对日本的历史、地理、文化有了更深刻的理解。如果说以东京为中心的关东地区是支撑现代日本发展的“脑”,那么关西地区可认为是将日本文化的精髓如同血液般输送至全身的日本的“心脏”。

図1

 図1には関西地方の地図と心臓構造図を重ね合わせた結果が示されている。主要都市の京都・大阪・神戸・奈良は、地理的位置が見事に心臓の房室に対応していることが見える。

图1显示的是关西地区的地图与心脏构造图重合的结果。主要都市的京都、大阪、神户、奈良,以其地理位置看可以说完美地对应了心脏的房室。

一、左心室の奈良:神使が寺を守る南都

      左心室奈良:神使护卫寺院的南都

 奈良は数多くの寺院と自由に飛び出している鹿があることでよく知られている。

奈良以拥有众多的寺院和自由飞驰的鹿而广为人知。

 興福寺から春日大社まで、奈良公園を歩きながら、散る桜の雨に、神の使いと尊ばれる鹿に出会えたのは、最高だった。しかし、あの時から、心の中で一つの疑問が浮かんだ。春日大社の神使すなわち神道教の象徴の一つである鹿は、どうして仏教の寺院にも保護されるだろうか。ウィキペディアで調べると、日本では神仏習合という宗教現象があり、特に奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化したということが分かる。その寺院に関係のある神を寺院の守護神、鎮守とするようになったことは、8世紀の興福寺における春日大社は最も早い例である。

由兴福寺至春日大社,漫步于奈良公园,在零落的樱花雨中,与被尊为神使的鹿相遇,真是非凡的享受。不过,从那时开始我便心生一个疑问。作为春日大社的神使,也就是神道教的象征之一的鹿,为什么也受到佛教寺院的保护呢?查阅维基百科时发现,在日本存在着名为“神佛调和”的宗教现象,特别是奈良时代以来,神佛关系变得更为紧密。这种与寺院具有联系的神也被寺院奉为守护神的现象,8世纪的兴福寺之于春日大社便是最早的例子。

 今回のフィールドワークでは、東大寺と奈良国立博物館のなら仏像館を訪れ、先生に詳しくご説明をいただき、奈良時代(710年~794年)の歴史やなら仏教への認識を深化した。奈良は奈良盆地の北部に位置し、奈良時代の日本の都城として平城京や南都とも呼ばれていた。当時の皇族や貴族が遣唐使によってもたらされた唐の文化を積極的に取り入れたため、平城京は、唐の都長安城を模倣して建造され、今でも文化財として残っている建築遺跡から、あの時の風貌が見える。

在这次的实地调研中,我们造访了东大寺和奈良国立博物馆的奈良佛像馆,通过老师的详细说明,深化了对奈良时代与奈良佛教的认识。奈良位于奈良盆地的北部,在奈良时代作为日本的首都被称为“平城京”或“南都”。由于当时的皇族或贵族积极汲取由遣唐使带回的唐代文化,平城京仿造唐代都城长安建造而成,从作为文化财产保留至今的建筑遗迹中,依然可见当年的风貌。

 今回の奈良の旅では、最も印象に残ったことは、やはり東大寺大仏殿の本尊であり、国宝に指定されている盧舎那仏像である。高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルの大仏は、数多くの仏像の中で大きいとは言えないが、宗教信仰を持っていない私にも震撼させた大仏が迫力のある理由は、建造者の巧みな彫刻技に宗教建築内信徒に作れた厳かな雰囲気をかけた結果だろう。

本次奈良之旅中,让我印象最深的还是东大寺大佛殿的主佛、被列为国宝的卢舍那大佛。高约14.7米、底座周长70米的大佛,在为数众多的佛像中虽不能说是庞然大物,但对于没有宗教信仰的我来说,这撼人心魄的力量,或许是能工巧匠的雕刻技艺与宗教建筑内信徒虔诚的气息加成的结果吧。

二、左心房の京都:多国文化融合の独特な古都

      左心房京都:多国文化融合的独特古都

 さらに不思議な古都と言えば、京都である。外国の観光者にとって、日本の歴史を知りたいなら京都へ行く、というイメージがステレオタイプほど強い。私も京都贔屓だと言っても過言ではない。残念なのは、京都府民として生活している約一年間、京都市内に何回も行ったことがあるが、のんびりと街を歩くチャンスがほとんどなかった。今回のフィールドワークでは、同志社大学今出川キャンパスを中心に、相国寺と京都御所を訪れ、先生と一緒に京都の町を歩きながら、改めて今まで知らない京都に出会えた。

京都,可以说是更加不可思议的古都。对于外国观光客来说,想要了解日本文化就去京都,这种想法似乎是约定俗成的。我自己也是京都的铁粉,这么说并不为过。可惜的是,作为京都府民生活的将近一年間,虽然多次来到京都市内,却少有在街上悠闲散步的机会。在这次的实地调研中,以同志社大学今出川校区为中心参观了相国寺与京都御所,跟老师一起漫步于京都的街道,重新相遇一个我未曾知晓的京都。

 同志社大学今出川キャンパスに行くと、古代の東方の建築群である仏教の相国寺と神道の京都御所の間に、キリスト教建築が位置しているという不思議な光景が見える。東西建築様式の差異だけではなく、仏教、神道教、キリスト教の建築物がなぜ同じ場所に並列できたのかを言うと、近代化の過程中、思想学問また政治勢力が競争しながら、バランスを取り、共存できた結果だろうかと考える。また、日本人は学習精神を持ち、諸文化に対する受容性が高く、しかも、多国文化が融合しているうちに、独特な気質が生まれられる。

前往同志社大学今出川校区,则会看到在古代东方的建筑群——佛教的相国寺与神道的京都御所,两者中间伫立着基督教建筑,这种不可思议的光景。不仅是东西方建筑样式的差异,佛教、神道教、基督教的建筑为何能在并列在同样的地方呢?这可以认为是近代化过程中,思想学问与政治势力在竞争中取得平衡、共存的结果。并且,具有学习精神的日本人,对诸文化接纳度高,进而在多国文化的融合中诞生了自身独特的气质。

 今出川キャンパスで最も気になるのは神学部の教学棟とされたクラーク記念館である。幕末から明治にかけて、「殖産興業」などを目的として、欧米の先進技術や学問、制度を輸入するために雇用された外国人の中で、アメリカの教育者であるクラーク博士は、札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭として広く知られている。しかし、私が知らなかったのは、クラーク博士が札幌に赴任したことは、アマースト大学で教えていた時期、同大学初の日本人留学生である新島襄に紹介された結果である。もしクラーク博士は新島襄はに出会えなかったら、旧帝大の一つの北海道大学が存在できないかもしれない。同大から北大へ、何か不思議な所縁を感じた。

在今出川校区,我最为在意的是作为神学部教学楼的克拉克纪念馆。从幕末到明治时代,以“殖产兴业”等为目的,为了从欧美引进先进技术和学问而雇佣的外国人中,美国教育学者克拉克博士作为札幌农学校(现北海道大学)的首任校长而广为人知。但是,我并不知道的是,克拉克博士能到札幌赴任,还是在阿默斯特大学(Amherst College)任教期间,受该大学第一位日本留学生新岛襄(同志社大学创始人)介绍的结果。如果克拉克博士没有与新岛襄相遇,那么旧帝大的北海道大学也许就不复存在了。从同大到北大,我感受到了一种莫名的缘分。

三、右心房の神戸:世界を抱く港町

     右心房神户:拥抱世界的港口城市

 フィールドワークで神戸に行ったのは、初めてだったが、意外に、ノスタルジーを感じた。先日、もう一度神戸へ観光したとき、一緒に行った大連の友達は「何か大連みたいな」と同じ言葉を言った。海と山の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深のある理想的な港湾を有する神戸は、私のふるさとの大連と同じく山が多い港町である。しかも、近代化以降、西洋人が多く住んでいる場所には、ヨーロッパ風情の建築が建てられ、今でも文化財として残されている。また、私は長崎と横浜に行ったときも、何か似ていることを感じた。それは、近代化の中で世界に胸を開いた港町である同質性だろうか。

虽然这次实地调研是我第一次来到神户,却意外地感受到了一种乡愁。前几天,再一次来神户观光的时候,同行的大连朋友也说出了“总觉得跟大连有点像”这句同样的话。因海与山相互逼近而拥有横贯东西的狭长街市,具有足够水深的理想港湾,神户,跟我的家乡大连一样是一座多山的港口城市。而且,近代化以来,在西方人聚集的地方,建造起欧洲风情的建筑,至今仍作为文化财产而保留下来。另外,我去长崎和横滨的时候,也莫名地感受到了相同的气息。这大概是近代化中向世界展开心胸的港口城市所拥有的共性吧。

 しかも、関西に位置している神戸は、日本列島の周辺にある長崎や函館より、日本本土に大きな影響が与えられたと考える。貿易だけではなく、鉄鋼、製造など工業が発展し、港町として、神戸は日本の近代化に重要な役割を果たした。

并且,位于关西的神户,与位于日本列岛周边的长崎和函馆相比,对日本本土的影响更为重要。不仅是贸易,钢铁、制造等工业的发展,作为港口城市,神户为日本的近代化做出了举足轻重的贡献。

 日本には唯一の孫文記念館も神戸にある。日本列島の国産みの神話では、最初に創造した島であると言われる淡路島と繋がっている明石海峡大橋の隣に建てられた八角形の中国式楼閣『移情閣』は孫文記念館ともいう。この建物は、もともと神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂の別荘「松海別荘」を前身としている。孫文と「松海別荘」(移情閣)の関わりは、孫文が1913(大正2)年3月14日に来神した際、神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときに始まる。日本亡命時に、在日華僑・中国人実業家の連中また日本人の支持者から資金援助をもらった孫文は、日本はアジア諸国の中で近代化の先駆と言えるため、「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」という言葉がある。この言葉により、日中近代化の発展には、深い関係があることが分かる。

日本唯一一座孙文纪念馆也坐落于神户。在日本列岛的创世神话中,据说最早创造的岛屿是淡路岛,在与之相连的明石海峡大桥的旁边,建造起的八角形中国式楼阁“移情阁”,便是孙文纪念馆。这个建筑的前身是活跃在神户的中国实业家吴锦堂的别墅“松海别庄”。孙文与“松海别庄”(移情阁)的联系,是从孙文1913年3月14日到访神户之际,这里作为神户的中国人政治财经接的有志之士举办欢迎午餐会的会场开始的。逃亡日本的时候,收到在日华侨、中国实业家们以及日本支持者的资金援助的孙文,因日本是亚洲诸国中实现近代化的先驱,而说过“明治维新是中国革命的第一步,而中国革命是明治维新的第二步”这样一句话。从这句话中可以得知,中日两国在近代化发展中具有深刻的联系。

四、右心室の大阪:近未来的大都会

      右心室大阪:近未来的大都会

 今年はフィールドワークで行くチャンスがなかったが、西日本にある最も重要な交通の中枢である大都市として無視できない大阪には、何回も行ったことがある。古都としての歴史を持つ大阪は、現代のコンクリートのジャングルの中で、大阪城、住吉大社など遺跡が残り、全国からあらゆる食材が集まる「天下の台所」であり、またUSJでハリウッド映画の世界を体験する同時に、文楽、歌舞伎、落語など伝統芸能も鑑賞できる。大阪では、思ったよりも豊かな生活を送り、SF映画に出てくる近未来的大都会のあり方が見える。

在今年的实地调研中虽然没有去的机会,但作为西日本最重要的交通枢纽城市而无法忽视的大阪,我还是去过很多次的。(同样)拥有古都历史的大阪,既在现代钢筋混凝土丛林中保留着大阪城、住吉大社等古迹,也是云集全国一切食材的“天下的厨房”,还可以在环球影城体验好莱坞大片的世界的同时,鉴赏文乐、歌舞伎、落语等传统曲艺。在大阪,可以过上超乎想象的丰富生活,甚至有种科幻片里出现的近未来的大都会的既视感。

 関西に住んでいる約一年間、災難や困難にあっても、この「心臓」から溢れ出る力をしっかりと感じている。魅力的・活力的な関西の未来を期待している。

在关西居住的将近一年间,即便遭遇了灾害和困难,从这颗“心脏”喷薄而出的力量依然可以感受得到。我期待关西更加充满魅力和活力的未来。

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